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「関帝信仰」とは、後漢から三国時代にかけて活躍した武将「関羽」が神格化され崇拝されているものです。関羽様の没後、仕えていた劉備一族により、その功績をたたえられ廟を建立したことが始まりとされています。
「義」に厚く弱い者の味方でありつづけた関羽様を、その後の「晋・唐・宋・元・明・清」の各朝廷も、その精忠・守義に感動し帝位
を授けたことから、護国の神明として中国全土に関帝廟が建立されるようになります。
日本でも古くから中国との貿易が盛んだった沖縄で、数百年の昔から民間信仰があったと言われ、足利尊氏や徳川光圀も祭祀したという説が残されています。
武将であった関羽様は「武神」としての崇拝の他に、生涯を通
して厳格に「忠義」を貫いたことから「約束を守る」ことのシンボルとなり、信用を重んじる商人の間で「商業神」として崇拝されるようになります。
19世紀に入ると、海外移住する中国人の急増に伴い、アジアのみならず世界各国にチャイナタウンが形成され、「関帝信仰」の象徴として関帝廟が建立されています。
横浜でも安政6年(1859年)の横浜開港に伴い、欧米人の仲介役として筆談のできる中国人が来浜したことが、後の横浜関帝廟建立につながります。
欧米商人の仲介役以外にも、活版印刷という新しい技術を身につけ来浜する中国人もおり、明治初年(1868年)には、横浜の華僑は1000人を数えたと言われています。
彼らは苦難の労働や言語風俗の違う異郷の地で暮らしながらも、故郷に残した家族を偲ぶための心の支えとして、神明の信仰を必要としていました。
そこで当時、居留民の大半だった広東省人が崇拝していた、幸福と蓄財の神明「関聖帝君」を祀る廟の建立を発起し、浄財を集め、日本で最初の小さな廟が建立され「横浜関帝廟」の歴史が始まります。
その後、横浜関帝廟は大正12年(1923年)9月1日の関東大震災による消失、昭和20年(1945年)第二次世界大戦による消失、昭和61年(1986年)不審火による焼失と、三度羅災にみまわれますが、いち早く再建されています。
横浜関帝廟再建は、華僑たちの「関聖帝君」への崇拝はもとより、愛郷愛国・祖先崇拝・団結の精神に根ざした互助互済と、日本の人々との善隣友好の貴重な成果
です。
横浜関帝廟は建立されてから130余年、先僑たちの苦難と団結を礎とし、「関聖帝君」は横浜中華街を見守りつづけています。
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20世紀初頭の中華街大通
り
(横浜開港資料館所蔵)
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明治43年、祭りの日の中華街
(横浜開港資料館所蔵)
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昭和10年代の中華街
(横浜開港資料館所蔵)
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昭和33年、中華街の獅子舞
(広瀬始親撮影・横浜開港資料館所蔵)
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