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横浜関帝廟は明治6年(1873年)居留民によって、横浜市中区山下町140番地付近に日本で最初の小さな廟が創建されたのが始まりです。明治19年(1886年)に境域を拡張、明治26年(1893年)には大改築が行われ、煉瓦で周囲を囲み、牌楼、堂宇の壮厳、宏麗さ及び、廟内の装飾・彫刻・彩
色は豪華絢爛、見る者の目を眩わしたと言われています。横浜市史によれば「関帝を奉り祭祀し、この地の華商のことごとくはその保護により、ことなきを得た」と記述あるように当時の居留民の精神的なよりどころの役割を果
たしていました。
しかし、残念なことにこの初代の関帝廟は関東大震災で全壊し、次代の関帝廟も昭和初期に第二次世界大戦の戦災により消失しました。
第三代廟は、戦後間もなく、華僑出身者たちを中心に発願され、横浜・東京・神戸・大阪華僑の浄財を集めて建立されました。〈昭和21年(1946年)6月竣工 工費22万円〉終戦直後の物資欠乏の当時、古材を使い苦労を重ねて完成したものです。
ところが昭和61年の元旦の午後7時頃、原因不明の出火により焼失してしまいます。この時、火は各神明直前の供物台まで迫りましたが、関聖帝君や併祀の観音媽や地母娘娘の諸神明像は無事でした。
第四代廟建立にあたり、横浜関帝廟再建委員会は、中華街の総意と付託を受けて、広く各界・各層の要望をまとめ、討議を重ねた結果
、新廟は日本における関帝信仰のメッカとなり得るような、内外に誇れる立派な廟堂を建造し、武神・財神として神力無比の関帝のご加護を希って、再建案を作成し着工されました。堂屋・堂宇の装飾・構築部分は可能な限り本国より取り寄せ、また中国の工匠を呼び寄せ、中国の伝統建築工芸の粋を駆使して建造され、金色に輝く数々の装飾には3.5キロの金箔が使われたと言われています。
完成した関帝廟はその美しさと華やかさでは、日光の東照宮にも匹敵するもので、中国の工匠職人が海外に造った建築物としては、その右にでるものがないと言われてます。また夜にはライトアップされ、よりいっそう荘厳な佇まいを見せています。
先僑の関帝信仰の崇高な精神と偉業を引き継ぎ、発展させるこの大事業に際して、広く有志諸賢のご浄財をいただいたことにより、現在の関帝廟が完成いたしました。
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■1859年(安政6年)
横浜開港
■1873年(明治6年)
初代 関帝廟建立
■1886年(明治19年)
境域を拡大
■1893年(明治26年)
本格的な廟として大改築
■1923年(大正12年)
初代 関帝廟 関東大震災で消失
■1945年(昭和20年)
第二代 関帝廟
第二次世界大戦で消失
■1986年(昭和61年)
第三代 関帝廟 火事で焼失
■1990年(平成2年)
第四代 関帝廟完成 |
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初代「関帝廟」
(横浜開港資料館所蔵)
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第三代「関帝廟」
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